風水について考えるブログです.

現代の風水は,非常に複雑な容貌を持っています.
もちろん,古代風水も単純ではありませんが,それなりに筋が通っているように思えます.
中華圏で発生した風水は, 風水であるだけに周囲の地理的環境の影響を受け,変化したようです.
さらに,世俗的な欲求から,多様な要素が付け加わっているようです.

これらを整理してみようという試みです.
 

2011年7月12日火曜日

陰宅風水と陽宅風水

いわゆる「風水本」の最初によくあるのが,「風水には『陰宅風水』と『陽宅風水』がある」という書き出しです.
もっとも,現代日本では「陰宅風水」はあり得ないので,和製風水先生の占い系「風水本」には,そんな書き出しはないかもしれません(つかみ所のない「風水」をつかもうと努力してるので,わかりにくい表現が多いですね(^^;).

文献系「風水本」のいくつかには,確かにそういう書き出しがあります.
しかし,より原著に近い方の文献をあさっていると,「?(疑問符)」が吹き出します.どう考えても,「陰宅風水」と「陽宅風水」は,分けられない.

簡単に言ってしまえば,「風水」とは,大地に流れる「気」を想定して,そのパワーを利用してしまいたいという願望からできた学問です.そこから,いろいろな理屈が創られてきたものなのです.
しかし,「大地に流れる気」は脈動していますので,簡単ではない.
わかりづらいかもしれませんが,たとえていえば,「そよ風」は気持ちがいいですが,同じ風でも台風や竜巻のようにパワーが巨大すぎるものは,われわれ人間にとっては利用するどころか,害しかもたらしません.

こういう巨大なパワーは,「生きている人間」には利用できないものです.
でも,どうしても利用したいと考える人たちがいます.かれらが考えたのが,媒介として自分たちの祖先をおくというものです.
アジアの一部には,ある土地に「宝もの」を埋めておくと,そこは聖地にかわり,そこからさまざまないいものが流れ出るというような「原始的な宗教(のような考え)」があります.
この応用で,大地に流れる気を「墓」(=埋められた先祖)が「生きている人間」(=子孫)に都合のいい程度に変換してくれることを期待しているわけです.いわば「気」の変電所ですね.

勘違いして「先祖を敬うよい行い」とかいう道徳先生がいますが,そうではなく,あくまで「ギブアンドテイク」の考えですね.気持ちのいい墓を提供し,折にふれ「祭る」ことによって,「大地の気」を生きている人間に「都合の良い気」に換えてくれること.これを要求しているわけです.
道徳先生はこれを勘違いして,「先祖を祭らなければ,悪いことが起きる」などといいますが,そんなことはあり得ません.親が子どもの身に悪いことが起きることを望むわけはないからです.

話を戻しますと,「先祖の墓」は大地を流れる「気の変電所」ですから,大地の気と現世利益の気とはつながっているわけで,「陰宅」と「陽宅」を分けてしまってはなんの意味もないわけです.

どうでしょう?
「風水には『陰宅風水』と『陽宅風水』がある」なんてことは,成立していないと思いませんか?