風水について考えるブログです.

現代の風水は,非常に複雑な容貌を持っています.
もちろん,古代風水も単純ではありませんが,それなりに筋が通っているように思えます.
中華圏で発生した風水は, 風水であるだけに周囲の地理的環境の影響を受け,変化したようです.
さらに,世俗的な欲求から,多様な要素が付け加わっているようです.

これらを整理してみようという試みです.
 

2010年6月27日日曜日

龍脈

 
 大地には,「気」の通り道である「龍脈」があります.
 というか,そう基本を置くことによって,「風水」が成り立ちます.いわゆる「風水師」の仕事は,この「龍脈」を見つけること.

 ここで,「龍脈」の存在を疑ってはいけません.
 なぜって,これが存在しないとなれば,「風水説」も存在できないからです((^^;).

 三浦國雄「風水講義」では,次のようなアナロジーが紹介されています.

大宇宙(宇宙)     小宇宙(人体)
(龍穴─龍脈)┬風─気┬(経絡─経穴)
       │   │
       └水─血┘
               三浦國雄「風水講義」(文春新書)

 設定としてはいいのですが,じゃあ「龍脈」はどこにあるのかというと,とたんに怪しくなります.上記「風水講義」では,基本になる「三大幹龍」というのが何度も出てきますが,その「三大幹龍」というのはなんなのかということは,さっぱりわからない書き方になっています.
 「中国三大幹龍総覧之図」というのまで,掲げてるんですけどね.
 「黄河」・「淮水」・「長江」がそうらしいとやら,いやそうではなくて,仮想の山脈であるとか….

 たぶん,この「中国三大幹龍総覧之図」というのは,単に大きな川を「龍」と見立てただけで,風水論とはまったく関係がないのじゃあないかという気がしますね.

 面白いのは,朝鮮半島は半島ではなく,島として描かれてること.
 なぜ面白いかというと,朝鮮の風水では,龍脈の大元である菎崙山から続いた龍脈が白頭山を経由して朝鮮半島に流れ込むとして,その基本を置いてるのに,大元の中国では朝鮮半島と龍脈は(なんであれ)断絶というか,無視されていることです.

 ま,早い話が,「風水説(論)」は,どこを開いても,矛盾だらけ,ということです.
 この風水が持つ「矛盾」は,欧米人には「迷信」としてしか映らず,デ・ホロートの「中国の風水思想(牧尾良海,1986和訳:原著は「中国宗教制度」の一部;風水解釈のねじれ現象の元となった「迷著?」)」では,風水思想のみならず,中国文化や中国人そのものをこき下ろした反=支那本になってます.
 読めば愕然とするであろうことを請け合いますが,時代背景を考えると,よくわかりますね.この本は,当時のシノロジーの代表的な著作だったのでしょう.この本を読んだ欧米人は「支那文化など踏みつぶしてもかまわない」と思ったでしょうし,実際に,欧米による支那植民地化・侵略の正当化に役立ったろうと思います.
 悲しいかな,日本の風水研究では,これがバイブルなんだって…(-_-;.
(いずれ,「中国の風水思想(牧尾良海訳)」についても,レヴューするつもりです)
(なお,当時は「中国」という国は存在しませんでしたので,訳本の表題は不適切です.当時の日本では,「清」という“国名”で呼んでいましたが,清は王朝の名前です.国の形としては,満洲族が漢族を支配していたという異民族支配ともとれる状態でした.このためか,現代中国では「満洲国」の存在を否定しています.歴史は,まだ,このあたりを整理していないのですね.)

 さて,話を戻しますと,「風水は環境論」です.
 だから,環境の違うところでは,「風水」が違い,「風水論」も異なります.中国には中国の風水があり,朝鮮半島には朝鮮半島の風水がある.もちろん,日本にも独自の風水があります.
 もっといえば,中国南部には,中国南部の風水があり,黄土地帯には黄土地帯の風水がある.砂漠地帯には砂漠地帯の….
 自明の理ですね.それを何でもかんでも,欧米自然科学流に統一しようとするから,ただの迷信にしか見えなくなる….
 

0 件のコメント:

コメントを投稿