いわゆる「風水本」の最初によくあるのが,「風水には『陰宅風水』と『陽宅風水』がある」という書き出しです.
もっとも,現代日本では「陰宅風水」はあり得ないので,和製風水先生の占い系「風水本」には,そんな書き出しはないかもしれません(つかみ所のない「風水」をつかもうと努力してるので,わかりにくい表現が多いですね(^^;).
文献系「風水本」のいくつかには,確かにそういう書き出しがあります.
しかし,より原著に近い方の文献をあさっていると,「?(疑問符)」が吹き出します.どう考えても,「陰宅風水」と「陽宅風水」は,分けられない.
簡単に言ってしまえば,「風水」とは,大地に流れる「気」を想定して,そのパワーを利用してしまいたいという願望からできた学問です.そこから,いろいろな理屈が創られてきたものなのです.
しかし,「大地に流れる気」は脈動していますので,簡単ではない.
わかりづらいかもしれませんが,たとえていえば,「そよ風」は気持ちがいいですが,同じ風でも台風や竜巻のようにパワーが巨大すぎるものは,われわれ人間にとっては利用するどころか,害しかもたらしません.
こういう巨大なパワーは,「生きている人間」には利用できないものです.
でも,どうしても利用したいと考える人たちがいます.かれらが考えたのが,媒介として自分たちの祖先をおくというものです.
アジアの一部には,ある土地に「宝もの」を埋めておくと,そこは聖地にかわり,そこからさまざまないいものが流れ出るというような「原始的な宗教(のような考え)」があります.
この応用で,大地に流れる気を「墓」(=埋められた先祖)が「生きている人間」(=子孫)に都合のいい程度に変換してくれることを期待しているわけです.いわば「気」の変電所ですね.
勘違いして「先祖を敬うよい行い」とかいう道徳先生がいますが,そうではなく,あくまで「ギブアンドテイク」の考えですね.気持ちのいい墓を提供し,折にふれ「祭る」ことによって,「大地の気」を生きている人間に「都合の良い気」に換えてくれること.これを要求しているわけです.
道徳先生はこれを勘違いして,「先祖を祭らなければ,悪いことが起きる」などといいますが,そんなことはあり得ません.親が子どもの身に悪いことが起きることを望むわけはないからです.
話を戻しますと,「先祖の墓」は大地を流れる「気の変電所」ですから,大地の気と現世利益の気とはつながっているわけで,「陰宅」と「陽宅」を分けてしまってはなんの意味もないわけです.
どうでしょう?
「風水には『陰宅風水』と『陽宅風水』がある」なんてことは,成立していないと思いませんか?
2010年7月16日金曜日
鬼門
北東方向を「鬼門」とよぶことは,日本人ならだれでもよく知っています.
しかし,“文献派”の教授たちが,日本でいう「鬼門」には,裏付けがないことを明らかにしてから,“ちまちま派”の風水先生でも,比較的まともな風水本には,そのことを明記するようになりました.
でも,不勉強な風水先生は,いまだに「北東方向は鬼門」であると,(例によって)なんの根拠・証拠も示さずに断言しています.
中国の鬼門
「鬼門」という言葉そのものは,中華圏から輸入された言葉なんだそうです(原典も,内容もあいまいなので,こういう語尾になっちまいます).
現地では「鬼」は死者やその魂をさす言葉であって,日本の「鬼」とは意味がちがいます.また,「鬼門」の意味も,日本でいわれていることとはちがうようです.たんに,ある場所(想像上の場所)への出入り口という意味らしい.北東の方角が悪い方角という意識もないようです.
ちなみに,日本の風水先生のいう「裏鬼門」は,中華圏では「人門」というそうです.
日本の鬼門
日本で,鬼門がよくない方向という意味を持つようになったのは,いつのころからなのか,それもよくわからないようですが,よくわからないほど古いということでしょうか.
しかし,こういう「方角」に「いい・わるい」があると,ものの本に登場するようになったのは,安倍晴明が書いたといわれる「簠簋内伝」だといわれています.
「安倍晴明占術大全」「簠簋内伝金烏玉兎集」(藤巻一保,訳解説)には,ひじょうにおもしろい記述がたくさんあります.たぶん,日本の迷信といわれるものの,ほとんど全てはここから始まっているのでしょう.
さて,こういう本が成立したころの日本(日本とよんでいいのかどうか判断できないですけど)は,天皇・平安貴族らの支配下にあったのは,西日本だけであって,東北日本はいわゆる“まつろわぬ民”=蝦夷(えみし)とよばれる部族がたくさんいました.
かれら(いわゆる縄文人の末裔ですね)はどんどん,北の方に追い詰められて,のちに蝦夷(えぞ)=アイヌの成立をみることになるのですが,このころは,大和政権の安定をおびやかす存在だったらしいです.征夷大将軍という役職があるでしょう.
そういう意味では,北東の方角には,文化の異なる=得体の知れない,勇猛果敢な部族がいるわけですから,「鬼門」のイメージと結びついたかもしれないわけです.
また,日本史上,このあたりの時代ほど魑魅魍魎が活躍した時代もありません.実際にいたかどうかはともかくとして,おおくの人がその存在を信じていたわけです.
晴明の「簠簋内伝」の成立は,そういう時代を背景としているわけです.
現代の鬼門
さて,鬼門は全くの迷信でしょうか?
そういってしまうのは,たやすいですが,そうとばかりはいえないもこともあるようです.たとえば,鬼門の方角に玄関や,台所,浴室をつくってはいけないといいます.
知人が,家を新築する時に,鬼門を気にしていたら,建築家はそれは迷信だから気にすることはないといったそうです.それを信じて,玄関を北よりはじゃっかん東の方向につくりました.
その年の冬のことです.
ある朝,玄関の戸が開きません.どうしたことでしょう.
北海道では,冬には北西からの強烈な季節風が吹きます.吹きだまりが雪を堆積し,ドアを押さえ込んだんですね.
さらにわるいことには,車庫も,だいたいそのそばで同じ方向をむいてますから,状況はおなじです.
かれは,毎朝,窓からでて,玄関のドアを掘り起こし,車庫前の雪かきをして出勤しているといいます.
北海道の冬はマイナス20〜30℃にもなります.
北側の暖房のない部屋,浴室,台所,トイレなどは,いつも寒いし,窓や壁が結露をおこします.十分な対策なしに,こういうものを置くと,あとで苦労します.
温度差の激しい,浴室,トイレは,脳梗塞の要注意スポットでもあります.
冗談ではなく,北側の水回り,玄関は「鬼門」なんです.
厳密に北東ではなく,北から東方向ですけどね.
「迷信だ」,「科学的でない」といって,否定するのはたやすいですが,なんの根拠もなく,そういってしまうのは,逆に「科学という迷信」をつくり出すことにつながります.長い間言いつたえられていることには,それなりにリーズナブルなことがあると思った方がいいのでしょう.
2010年7月15日木曜日
風水害
ここんところ,本州南部での水害のニュースが続いています.
TVでは,気象予報士が,梅雨末期に普通に見られる豪雨だと,ピント外れのことをいってます.
災害は,豪雨そのものがおこしているものではありません.
かわいそうですが,明らかに風水の悪いところに,災害が起きています.
急崖の下.
普段はたいした水量もない沢の出口.
一見近代的な,造成地.
脈動する気に対応できない余裕のない河川敷.
大きな川が,大きく曲がるところの外側の地域.
一見すると風水のよい平地でも…,
水のしみこまないアスファルト敷きにできた低地.
立体交差にできた低地.
うまい考えのつもりの地下室.
溝のような河川.
川底より低い住宅街.
明らかに悪い風水.
中国の風水
相変わらず,「中国の風水」についての,よい文献はみつかりませんが,おもしろい本をみつけました.
それは,山本 斌(1975)「中国の民間伝承」(太平出版)です.
出版は1975(昭和五十)年ですが,じっさいに調査されたのは,1939〜42年ごろのこと.著者は東亜研究所と満鉄調査部のおこなっていた「中国農村慣行調査」にくわわり,現地の農民から直接採取したものだそうです.
ここには,風水をメインにおいた章はありませんが,収集した民間伝承の背景には,当時の民間人の「風水思想」がいたるところにあらわれています.
おもしろいことに,当時の普通の中国人の「風水」にと,いまの日本の風水先生や大学で民俗学かなんかやってる(いわゆる“文献派”)の教授たちがいうような「風水」とは,ひどいギャップがあります.
それは「南蛮子伝説」のところにありますが,村にいる風水先生は普通の農民と変わったところはなく,「いわば旧式の知識人,長い人生経験を通じての博学な合理主義者である.したがって,老人のほうが信用される度合いが高い.多くは家伝の周易の書を持ち,古老から口伝によって受けた漢学の素養を身につけている.しかし,道観(道教の廟)などで修行をつんだりしたような人はいない.」なのだそうです.
村の風水先生は「道教の修行」などしていないということです.
日本の風水先生や大学教授たちは,どちらも風水と道教は密接な関係があるといっていますが,どうやらそうではないらしい.
「南蛮子伝説」をじっさいによんでみても,一つの「風水ルール」はありそうですが,道教に密接な関係ある話など,まったくでてこないですね.
これはいったいどうしたことでしょう.
もちろん,「「県城は,村よりももっと規模の大きい風水の上に,もっと学のある偉い風水先生の判断によって構築されたに違いない」と農民はいう.」ということも記されていますから,こちらは道教の素養などあるかもしれないですね.
ようするに,権力下の公的な風水先生と,それとは別の,村の,民間の風水先生がいるということになりますでしょうか.
そして,民衆の身近なところにいる風水先生は,道教とかの権威づけは必要なく,実用的なのだということを意味しているようです.
日本に蔓延している“風水”は,“ちまちま派(インテリア風水とか)”も“文献派(大学教授連)”も,道教とかの権威のもとで論理を展開しているようですから,実際の中国の民衆が信じていた「風水」とはちがうものである可能性が非常に高いということになりますね.
してみると,(困ったことに,)日本では,“ちまちま派”も“文献派”も,おなじ穴のムジナということになるのでしょうか.
そういえば,“ちまちま派”は“文献派”のいうことを,明らかに「権威づけ」として,使ってますね.
2010年7月7日水曜日
形煞
「形煞」という言葉があります.
普通の中国語に,こういう言葉があるのかどうかわかりませんが,少なくとも,私のもっている「基礎中国語辞典」には(熟語としては)載っていません.
ためしにググってみると,ほとんどが,日本の「風水HP」です.まれにみられる漢文も「風水」関連だけのようです.
しょうがないので,分解して,意味を調べることに.
「形[xíng]」:形.形態.形状.
「煞[shā, shà]」:凶悪な神.邪神.悪霊.
“形が悪い”というような意味になるのでしょうか.
さて,では,具体的には,どんなのが「形煞」となるのかというと,例によって「具体的」になると,「風水本」はさっぱりわからなくなるのが普通です.
だいたいが,イメージの産物で,なんでこれが「形煞」と判断されるのかよくわからないのが多いですね.
たぶん,風水先生に相談するような人は,なにか悩み事をもっているのが普通ですから,風水先生は「なにか悪いところ」を探さなければならない.だいたいが強引に,なんでもないところに「なにか悪いところ」を見つけ出し,相談者は悩み事のせいで,風水先生が言うところの「形煞」が原因だと考えれば,対処しやすい…と,いうところでしょうか.
ただし,その中のいくつかは,直感的にも,論理的にも,科学的にも,あまり良くない形というのはあるようです.
その中からいくつかを.
●丁字路口
「丁字路口」という言葉があります.風水では「形煞」とされています.
「路口[lùkǒu]」とは「交差点」のことで,「十字路」=「十字路口」で,「T字路」=「丁字路口」ということですね.「丁字路口」自体に,もともと,とくに不吉な意味があるわけではありません.
ところが,T字路の突き当たり部分,ここに,家を建てるのは「不吉」ということらしいです.説明としては,”T”の字の下からきた悪い気が,もろに家に当たり,悪いことをするということらしいです.
第一に,どうして「悪い気」なのか?
「良い気」だったら,「いいんじゃあない?」
しかし,「良い気」も「悪い気」も判断がなくて,「この場所は良くない」と判断されるようです.
それは,前にも言ったように,「気」には「良い」も「悪い」もないからにほかなりませんね.「良い」・「悪い」は人間の側の勝手な都合なんです.「気」は流れているだけですから,普段はなんでもなくても,脈動する気の流れが「強く」なった時,それに耐えられないような「人間」・「家」・「邑」・「国家」が倒れるだけです.
ただ,丁字路口が悪いわけではない.
第二に,T字路の突き当たりだと,「気」はどんどん流れ込んでくるのでしょうか.
T字路の下棒の部分が短ければ,十分に「気を集める」こと,「気が集まる」ことができないですから,「丁字路口だから悪い」ということにはなりませんね.したがって,T字路の下棒の部分が短かければ,この議論は意味をなさないということです.
第三には,今までの話と若干矛盾しますが,T字路はやはり危ないのです((^^;).
実際にこういうT字路では,交通事故が起きやすい.突き抜けている方の道路を通っている車は,横から来る車なんかほとんど気にしません.
一方で,突き当たりの反対側から来る車は,気をつけていてくれればいいのですが(「気をつける」やはりね(^^;),「気を抜く((^^;)」と,丁字路口に不用意に侵入することとなり,運が悪ければ,「出会い頭の事故」となります.
知り合いが,この手の事故にあい,一年ほど入院通院でふいにしましたね.原因は,T字路の突き当たりに突っ込んできた車が,一時停止をしなかったせいです.
さて,一般の家ではどうでしょう.
普通は,あまり気にしなくていいかと思いますが,日本でも南部になると,やはり,東アジア地域特有の「台風」が時々おそってきます.
普段はあまり気にならないでしょうけど,こういう場合は,T字路の突き当たりにある家は,「風の通り道」を塞ぐ格好になっていますから,強風の被害を受けやすい(もちろん,T字の下に伸びた道が短ければ,この場合,それほど問題にはなりませんね)
沖縄あたりでは,T字路の突き当たりには「石敢當」なるものが普通に置かれているそうですが,毎年,台風に襲われる沖縄としては,こういうものを置いて守護としたいという気持ちは,よくわかりますね.
ところで,商店などの場合には,T字路の突き当たりにある店は,この路を通る人や車からは,はるか遠くからみることができるので,繁盛しそうですね.
どうですか,一概に「悪い」とはいえないでしょう.
ただし,オートマ世代の人たちは,アクセルとブレーキを踏み間違えることが良くあるようですから,「石敢當」に相当するものを設置することと,道路と店舗の間には十分な間隔を置くことが必要ですね.
●路弓(街道反弓)
中国のHPでは「路弓」という用語はなかなか見つかりません.
「街道反弓」というのは見つかりますが,やはり風水HPでのこと.
つまるところ,「風水用語」と考えて良いでしょう.
さて,「街道反弓」とは?
文字通りだと,「街の路がひっくり返った「弓」になっている」ということです.風水用語としては,湾曲した道路の外側に面して入り口のある建物=よろしくない,ということまで含んでいるようです.
さて,では,湾曲の内側ではどうなんでしょうね.
中国の故事にこんなのがあります(詳しい話,および出典は忘れました:中国の故事としては有名な話のようです).
ある人が母親の墓を湾曲した川のすぐ傍の内側につくりました.風水上では川の傍は水気が多く良くない場所とされています.それで,その人の知り合いは,なんて無知なことをするのだと,罵りました.
ところが時が過ぎると,川は湾曲部の外側に向かって移動し,母親の墓のある場所は乾いた良い土地になりました.
この人は,メアンダー(蛇行)している川は,湾曲の外側に向かって移動してゆくことを知っていたのですね.風水の達人といえます.
治水が,あまり良くおこなわれていない川は,水量が増えるたびに,激しく蛇行してゆきます.それは,湾曲部の外側は浸食域であり,内側は堆積域だからです.
放っておくと,蛇行は進行し,内側の土地はどんどん広くなり,外側の土地は少なくなってゆきます.
また,雪解け時,梅雨時あるいは豪雨が続く時期などには,急激な増水が起きると,たとえ堤防があったとしても,これを突き破って,川は湾曲部の外側に溢れてしまいます.
古代風水師は,そういうことに気がついていたのでしょう.
水にしろ,気にしろ,人にしろ,そういうものが流れる通路(龍脈)の湾曲部の外側,これは「風水が悪い」のです.
くれぐれも,そういう土地には,お気をつけください.
風水では,ほかにも,「彎弓直箭」,「路弓往内射」,「鎌刀煞」などと呼ばれるものがありますが,全て,これの応用です.
彎曲する龍脈(エネルギーの流れ路)の外側は「危険!」ということです.
普段は何事もなくても,脈動する「気の流れ」が強くなった時,我々には手の施しようがないことがある.これが,風水の教えです.
2010年7月4日日曜日
良い気,悪い気
風水先生は,「良い気」の通り道か,「悪い気」の通り道かを判断するのも仕事といわれています.
しかし,「「地形派」vs.「方位派」」ですこし触れたように,「善悪」はもっぱら人間の側の都合で,そんな区分はたぶん無い.
気は,リズミカルに流れているだけです.弱くなったり強くなったり.
「風」とおなじですね.
「陽の気」と「陰の気」が交互に流れていると考えるのも,風水的かもしれませんね.ちょっと,「陰陽五行説」の影響が強くなってしまいますが.
ほとんどの「人間」・「建物」・「邑」・「国家」にとって,少しの風は気持ちがよい.
無風状態は,空気がよどんで,あまりよろしくないですね.
しかし,希に,暴風になりますと,「風」には変わりがないのに,「風は悪い」と判断されてしまいます.が,それに耐えられる「人間」・「建物」・「邑」・「国家」にとっては,別に「悪く」もなんともないのです.
したがって,「良い」・「悪い」は,大地に張り付いている弱い存在である「人間」の側の都合でしかない.ですね.
ただ,「風は吹いている」だけなんです.
2010年7月1日木曜日
「原始風水」
●「北坐南向(ほくざなんこう?)」>「坐北向南」
「北坐南向」という言葉があります.
私の乏しい漢語の知識からいえば,このような言葉はあり得ない.「坐北向南」の間違いでしょうね.
ためしに,「北坐南向」でGoogleすると出てくるのは日本語のHPばかり.逆に「坐北向南」でGoogleすると,今度は中国・台湾のHPがたくさん出てきますね.
つまるところ,「北坐南向」なんて言葉が書いてある「風水本」や「風水HP」は怪しいということです.
もうひとつ.
風水は「陰陽五行説」を基本とするのが原則の筈ですが,これまでのところ,読んだ「陰陽五行説」の本には,「坐北向南」を「良」とする根拠はもちろん,「坐北向南」という言葉すら見つかりません.
なんででしょう.
一方で,「南向き緩斜面」は生活にも,農作業に用いるのにも良い土地だということは,別に風水を用いなくてもわかることです.もちろんこれは,北半球の温帯から亜寒帯での話,つまりいわゆる風水文化地帯でのですけどね.
たぶんこういうのが,「原始風水」なのだと思います.
●「背山臨水」
「坐北向南」と並んで,よく使われる言葉に「背山臨水」があります.
山を背にして,水に臨めば,排水は良いので乾燥してますし,飲用水や農業用水にも不自由しません.生活にも,農作業などに用いるのにも,良い環境ですね.
しかし,「南向き緩斜面」は良いですが,背後に山が迫っていて,急斜面があるのはいけません.
理由は,この時期になるとよくわかりますね.
普段はなんでもなくても,梅雨時あるいは豪雨が続く時期には,急斜面は崩壊の危険があります.
斜面崩壊で被害にあった人たちの多くがこういいます.
「ここに何十年も住んでいるが,こんなことは一度もなかった」
以前は,被害が起きるとよく使われた言葉「百年に一度の豪雨」.最近は,あまり使われませんね.「百年に一度」があまりに頻繁に起きるからでしょうか.
人類紀になってから,二百万年とも二百五十万年ともいわれますが(最近定義が変わったせい),そうすると百年に一度の災害は,二万回から二万五千回は起きていることになります.日本列島に,普通に人が住むようになってから約一万年が経っていますが,それからでも,百回は起きていることになります.
これは,「滅多にないこと」ではなく,「頻繁に起きていること」ということになります.
実際に,斜面崩壊の被害にあった場所でなくても,こりゃあ危険だなと思われるところはたくさんあります.昔は,住むところよりも農作地にするところの方が大事でしたから,仕様がなかったのでしょうけど,「人の命は地球より重い」となった現在でも,そういうところに住み続けている人は多いようです.
さらに,大都市周辺では,住宅地が周辺に押しやられているために,ますます,そのような危険なところに住宅が建てられ,梅雨時,とくに梅雨の終わりの豪雨時には悲しいニュースが流れます.
ニュースをみるたびに,なんでこんな危険なところに…と,思いますが,「危険だ」という警告はめったに受け入れられることがありません.
地質学者や地形学者は警告していないのか,警告が受け入れられるシステムができていないのか,警告しても受け入れられないのか…,毎年,毎年,繰り返していますね.
だったら,いっそのこと,「ここは風水が悪い」と宣告したくなりますね.
「背山臨水」は山を背にすることですが,排水が良く乾燥した土地(しかも,「水」に不自由しない)ということであって,急斜面の下に住むことではありません.
ところで,「背山臨水」は陰陽五行説で説明できるのかというと,これまた,微妙なところです.北の玄武には「水」が配当され,南の朱雀には「火」が配当されているからです.どう説明するのか,陰陽五行説および風水の専門家に解説を聞いてみたいところです.
●盆地地形
前回,“せいきモデル”の図を示しましたが,風水の良いモデル的な地形は,まあ,あのような地形なわけです.
なぜ,このような地形が良いのか,これも,陰陽五行説では説明できないかと思います(その気になったら,するかもしれないですけどね).
これも,じつは原始風水だとおもいます.
直感的に理解できる.
たとえば,石狩平野のような広大な平坦地を思い浮かべてください.
札幌農学校が目指したような近代西洋式農法なら,広いだけの土地の方が使いやすい.
しかし,石狩平野は,春先や秋の終わりに,昔は,馬糞風と呼ばれた強烈な季節風が吹きます.原因は日本海から太平洋まで遮るもののない巨大な平野だからです.
風水が発生したころの,人力,精々が牛力程度の農業では,広いだけの土地は,逆に使いにくい.それだけでなく,馬糞風のような季節風が吹くと,農作物の植え付けに影響があるし,長雨などで収穫が遅れると,今度は晩秋の北風に痛めつけられることになります.
それならば,“せいきモデル”のような,盆地地形が季節風の影響が少なくてよろしい.上川盆地なんかに住んでいると,強風はめったに吹かないので,春先,秋口に札幌に遊びに行くと強い風にびっくりします.
つまり,これも原始風水.良い土地選びの基本なわけです.
●原始風水
原始風水は,陰陽五行説の影響は受けていないように思われます.
風水の基本は「陰陽五行説」だといわれながら,陰陽五行説では説明できない,なおかつ直感的な「風水概念」があります.これは,原始風水が生き残っているものなのでしょう.
したがって,風水の基本が「陰陽五行説」なのではなく,陰陽五行説が「原始風水」を取り込んだのだろうと思われます.
日本にも,朝鮮半島にも,独自の風水があります.それは,地域によって環境が違うからです.
したがって,中国にも独自の風水があるはずですが,中国風水は非常に見えにくい.それは,本場中国の風水は「陰陽五行説」で覆い隠されているからだと思います(残念ながら,中国の風水を解説した良い本が見あたらないので,「である」と言い切ることはできませんが).
しかし,「陰陽五行説」も,辺境の日本あたりまでくると「メタ陰陽五行説」となって変化し,「陰陽道」となりますので,中国風水とはかなり異なったものになり,結果として「風水」も異なっていることからもわかります.
はっきり言ってしまえば,「陰陽五行説は,中国風水のノイズ」なのでしょう.
あるいは,土俗の原始風水が,権威付けに「陰陽五行説」を利用したため,各地の独自性が見えにくくなっているのかもしれません.
「北坐南向」という言葉があります.
私の乏しい漢語の知識からいえば,このような言葉はあり得ない.「坐北向南」の間違いでしょうね.
ためしに,「北坐南向」でGoogleすると出てくるのは日本語のHPばかり.逆に「坐北向南」でGoogleすると,今度は中国・台湾のHPがたくさん出てきますね.
つまるところ,「北坐南向」なんて言葉が書いてある「風水本」や「風水HP」は怪しいということです.
もうひとつ.
風水は「陰陽五行説」を基本とするのが原則の筈ですが,これまでのところ,読んだ「陰陽五行説」の本には,「坐北向南」を「良」とする根拠はもちろん,「坐北向南」という言葉すら見つかりません.
なんででしょう.
一方で,「南向き緩斜面」は生活にも,農作業に用いるのにも良い土地だということは,別に風水を用いなくてもわかることです.もちろんこれは,北半球の温帯から亜寒帯での話,つまりいわゆる風水文化地帯でのですけどね.
たぶんこういうのが,「原始風水」なのだと思います.
●「背山臨水」
「坐北向南」と並んで,よく使われる言葉に「背山臨水」があります.
山を背にして,水に臨めば,排水は良いので乾燥してますし,飲用水や農業用水にも不自由しません.生活にも,農作業などに用いるのにも,良い環境ですね.
しかし,「南向き緩斜面」は良いですが,背後に山が迫っていて,急斜面があるのはいけません.
理由は,この時期になるとよくわかりますね.
普段はなんでもなくても,梅雨時あるいは豪雨が続く時期には,急斜面は崩壊の危険があります.
斜面崩壊で被害にあった人たちの多くがこういいます.
「ここに何十年も住んでいるが,こんなことは一度もなかった」
以前は,被害が起きるとよく使われた言葉「百年に一度の豪雨」.最近は,あまり使われませんね.「百年に一度」があまりに頻繁に起きるからでしょうか.
人類紀になってから,二百万年とも二百五十万年ともいわれますが(最近定義が変わったせい),そうすると百年に一度の災害は,二万回から二万五千回は起きていることになります.日本列島に,普通に人が住むようになってから約一万年が経っていますが,それからでも,百回は起きていることになります.
これは,「滅多にないこと」ではなく,「頻繁に起きていること」ということになります.
実際に,斜面崩壊の被害にあった場所でなくても,こりゃあ危険だなと思われるところはたくさんあります.昔は,住むところよりも農作地にするところの方が大事でしたから,仕様がなかったのでしょうけど,「人の命は地球より重い」となった現在でも,そういうところに住み続けている人は多いようです.
さらに,大都市周辺では,住宅地が周辺に押しやられているために,ますます,そのような危険なところに住宅が建てられ,梅雨時,とくに梅雨の終わりの豪雨時には悲しいニュースが流れます.
ニュースをみるたびに,なんでこんな危険なところに…と,思いますが,「危険だ」という警告はめったに受け入れられることがありません.
地質学者や地形学者は警告していないのか,警告が受け入れられるシステムができていないのか,警告しても受け入れられないのか…,毎年,毎年,繰り返していますね.
だったら,いっそのこと,「ここは風水が悪い」と宣告したくなりますね.
「背山臨水」は山を背にすることですが,排水が良く乾燥した土地(しかも,「水」に不自由しない)ということであって,急斜面の下に住むことではありません.
ところで,「背山臨水」は陰陽五行説で説明できるのかというと,これまた,微妙なところです.北の玄武には「水」が配当され,南の朱雀には「火」が配当されているからです.どう説明するのか,陰陽五行説および風水の専門家に解説を聞いてみたいところです.
●盆地地形
前回,“せいきモデル”の図を示しましたが,風水の良いモデル的な地形は,まあ,あのような地形なわけです.
なぜ,このような地形が良いのか,これも,陰陽五行説では説明できないかと思います(その気になったら,するかもしれないですけどね).
これも,じつは原始風水だとおもいます.
直感的に理解できる.
たとえば,石狩平野のような広大な平坦地を思い浮かべてください.
札幌農学校が目指したような近代西洋式農法なら,広いだけの土地の方が使いやすい.
しかし,石狩平野は,春先や秋の終わりに,昔は,馬糞風と呼ばれた強烈な季節風が吹きます.原因は日本海から太平洋まで遮るもののない巨大な平野だからです.
風水が発生したころの,人力,精々が牛力程度の農業では,広いだけの土地は,逆に使いにくい.それだけでなく,馬糞風のような季節風が吹くと,農作物の植え付けに影響があるし,長雨などで収穫が遅れると,今度は晩秋の北風に痛めつけられることになります.
それならば,“せいきモデル”のような,盆地地形が季節風の影響が少なくてよろしい.上川盆地なんかに住んでいると,強風はめったに吹かないので,春先,秋口に札幌に遊びに行くと強い風にびっくりします.
つまり,これも原始風水.良い土地選びの基本なわけです.
●原始風水
原始風水は,陰陽五行説の影響は受けていないように思われます.
風水の基本は「陰陽五行説」だといわれながら,陰陽五行説では説明できない,なおかつ直感的な「風水概念」があります.これは,原始風水が生き残っているものなのでしょう.
したがって,風水の基本が「陰陽五行説」なのではなく,陰陽五行説が「原始風水」を取り込んだのだろうと思われます.
日本にも,朝鮮半島にも,独自の風水があります.それは,地域によって環境が違うからです.
したがって,中国にも独自の風水があるはずですが,中国風水は非常に見えにくい.それは,本場中国の風水は「陰陽五行説」で覆い隠されているからだと思います(残念ながら,中国の風水を解説した良い本が見あたらないので,「である」と言い切ることはできませんが).
しかし,「陰陽五行説」も,辺境の日本あたりまでくると「メタ陰陽五行説」となって変化し,「陰陽道」となりますので,中国風水とはかなり異なったものになり,結果として「風水」も異なっていることからもわかります.
はっきり言ってしまえば,「陰陽五行説は,中国風水のノイズ」なのでしょう.
あるいは,土俗の原始風水が,権威付けに「陰陽五行説」を利用したため,各地の独自性が見えにくくなっているのかもしれません.
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